ロストワールド

soichi_ueno2006-09-20

何から書こうか…
とても漠然とだけど、思っていることがあります。
もう随分前から思ってたことだけど。

これだけ情報が氾濫しているにもかかわらず、いや、氾濫しすぎて逆に見えにくくなっている、今自分が居る流れの中で、その流れがどこに向かおうとしているのか?という不安。
その一抹の不安を、おぼろげながら綴ろうと思います。
おぼろげながらなんで取りとめもないし、まとまりも整合性もありません。


ん〜、どこからいこうかな。

amazon、ありますね?
とても便利、とフジキン君も言ってました。
たしかに書店やレコード店にない商品もボタン一発で買えて、数日後にはポスト投函。
便利ですよね。
僕も使ってます。

でも、これ、書店は大打撃だと思うのですよ。
閉店する書店、いくつか見かけました。
ネットの影響は、新聞媒体にも甚大でしょう。
この前なんか、勧誘の人が、「読まなくていいから契約を!」と言ってましたよ。
どないやねん、っちゅう話ですよ。
なりふり構わんにもほどがある。
ああ、音楽業界もね。 やられちゃってますね。

でもネットはね、コミュニケーションが介在しない。
立ち読みしててハタキでパタパタ、なんて光景は昭和の遺物となってしまいました。
これって単なる懐古主義ですか?

携帯電話のおかげで、連絡がつかないときの二の手、三の手も考えなくなりました。
あまつさえ、携帯を持たない相手を罵ることも。
完全に道具に使われてますよね。
携帯メールのおかげで、返事を心待ちに日々を過ごすこともなくなりました。
あらゆるものが即物的に移行してます。

ネットに限らずね、大手資本が中小を蹂躙するというのも、まあ、弱肉強食で言ったらしゃあないんかもしれませんが、顕著ですよね。
地方に流入するフランチャイズはウィルスのように蔓延して、どこへ行っても、どこでも見るような店がお出まししてくれます。
映画館も軒並み閉館して、シネコンへ移ってますね。

それと話は変わりますけどね、これはちょっとショックでした。
この前、岡山の駅前を散策したんですよ。
日曜日のね、夕暮れ時でしたかね。
そしたらまあ、ええ !?
ゴーストタウンですよ。
見るも無残な。
駅前ですよ !?

ああ、そういえば三原も『死霊のえじき』のオープニングさながらでした。
ワニは歩いてませんでしたけどね。

それら幾つもの事象がね、事象というのはその、デジタル産業革命やら巨大資本やら過疎化やらですが、それらの事象がどうにもひとつの巨大なモノに向かって顕在化した事象に思えて仕方がないんですよね。
たとえるなら、『未知との遭遇』で起こる不可解で奇妙な事象が、デビルズタワーに収束していくような…
考えすぎかな?

効率化、合理化って無駄を省くものですよね。
企業努力としては全然正しいこととは思うんですよ。
けど、度が過ぎると、それはそれで味気ないと思うんですよね。
無駄の中に眠ってるサプライズって結構大切な気もするし。
本命じゃない同時上映作品との予期せぬ出会い、のような。
アルバムで初めて発見する曲とか。
嬉しい誤算というか。
自分がやりたいことだけやるのって、己を矮小化させる原因のひとつなんじゃないかと。
ん? ああ、食わず嫌いに関しては、自分はそんなに声高には言えませんけどね。
まあ、そんな矮小化した自分ですら戦慄を覚える昨今の流れということですよ。
言いたいのはね。

僕は、自分がお世話になった、ってのもあるんだけど、町のプラモ屋さんがなくなるのがとても悲しい。
駄菓子屋さんもそうです。 おもちゃ屋さんも。
時代にそぐわないものが姿を消していくことは必然なのかもしれません。
でも、だからといって巨大マーケットじゃ代行できないものも一緒に姿を消して、果たしていいものか?
消した先に何があるのか?

おそらくは、僕がこの世に生を受けた時点で既に失われしモノは数多くあったでしょう。
失われた世界で、不安とは無縁に、すくすくと育ってきた僕がいます。
なので、この危惧は杞憂で、いつの世も鳴らされる警笛で、お決まりの苦言なのかもしれません。

でも、今の自分には未来が見えない。
まったく見えない。

http://youtube.com/watch?v=p6bG8NXDEko

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060919-00000956-reu-ent.view-000