RAIN

サッカー、面白いですね。
僕はもっぱら日本代表観戦ですけど、この短期間で、ようここまで成長したなぁと思います。
すごいですよ。
すばらしいと思います。
ほんで、選手もね、二十歳そこそこで海外視野に入れて、自分のロードマップ持ってますもんね。
自分が20の時なんてなんも考えてなかったもんな。
映研楽しすぎる!の毎日でしたし。
香川選手なんて22ぐらいやったかな。
「自分はもう若くないですし」とかインタビューで言ってましたけど。
どこの戦国武将や、て思いますよ。
22ですよ?
側室でも持たせたげたい、ほんと。
インタビューもしっかりしてるもんな。
ほんで単身海外行ってね、語学まで習得して。
絶対無理やわ。
無理ですけど、邦画もちょっと見習わないといけないですね、若手の育成は。

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『きっとうまくいく』(2009)

劇場にて。

もうね、大好き。

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『刑事ジョン・ブック 目撃者』(1985)

教室にて。

丁寧で上品。
目撃者の少年も、意味ありげに登場するゴドノフも、見かけ倒しやったけど。

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パシフィック・リム』(2013)

劇場にて。

ハリウッドのブロックバスターって、どんどん魅力がなくなっていく。
もう完全に居残り補習組なアタイ。

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風立ちぬ』(2013)

劇場にて。

多感な時期に宮崎さんの作品を浴びるほど観た者からすると、『もののけ姫』以降の声優排除の意図がいまだに判りません。インタビュー等、字面上での理解はするけど、それが効果的であったかどうか、あがったものからは得られないまま。もっと良くなったはず、という思いが払拭できないんですよ。

まあ、『おおかみこども』の細田氏もこの手法を使ってるし、俺なんかには及びもつかん効果があるんだろうけど、それでもやっぱり、業界のトップに君臨する人が、公式にもアナウンスして、多くの夢を与えてくれた声優を否定しているのを聞くと、悲しくなります。
今作にいたっては、庵野さんだもんなー。
もう、俺が言ってるようなレベルの遥か遠く先に行っちゃってるんだとは思うけど。
そんなに言うんだったら、画もそれに見合ったものにしてくれればいいのに。
作画は相変わらずの濃密度でしょ。音のスカスカが浮いて感じて、どうにも気色悪いんだよなー。
作画パートの人たちはどう思ってるのかしら。
文句とかないのかな。


まあ、観客を啓蒙してくれる、ある種哲学者の視点を持ったまま、全国400館レベルで公開できる人物って、もう宮崎さんぐらいしかおらんし、動画の高揚感とか、特有の原風景とか、やっぱり唯一無二やもんね。
氏が望むのであれば今後も拝見したいという思いは変わらないです。
氏の意向が反映されているのであれば、もう何をやってもいいとさえ思う。
好きに自由に作ってほしい。
文句は言うだろうけど。


あ、あとね、煙草。
キャラクターに感情移入して「吸いたい」と思った時、必ず吸ってくれてた。
おいしそうに吸ってた。
うっとり。

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終戦のエンペラー』(2013)

劇場にて。

よく作ったなぁ、と思いました。
極めて日本寄りな内容なのに、プロとして惜しみなく技術を提供してくれた海外スタッフ。さすがです。
パンフに書いてあったけど、「何故、今これを作るのか?」を問うてましたね、監督さん。
海外のお客さんは、これ観てどう思うんでしょうね。気になる。


とってつけたようなメロドラマは、あの内容を2時間以内に収める解決策としても、海外の人に感情移入させる為にも、しゃあないとこでしょうね。
でも最後の方はグッときましたよ。
空襲に怯えて泣いとるんですよ、ヒロインが。爆撃しとるのは恋人の国ですよ。
そんな死地にあっても相手を想って手紙を残す姿にはもう涙々ですよ。
夏八木さんの雄姿が拝めたんも嬉しかった。
天皇に戦争責任はあるや否やで始まったはずなのに、そんなのいいじゃん!終わらせたの天皇なんだからそれでいいじゃん!で終わる、判ったような判らないような、携帯の更新手続きを聞いてるような感覚もありましたけど、EAST MEETS WESTとしては楽しめたし、いままでよくわからなかった天皇という存在が、少しだけ理解できたような気もしました。
アメリカは本当に大英断を下したな、ということも。


奇妙な感じよね。
原爆ふたつも落とされたけど、今の日本ってアメリカのおかげでもあるんやなぁ、というか。


日本って、敗戦教育のおかげで「戦争=悪」ってとこから議論が進まない気がします。
あんな馬鹿なことしたん誰や!っていうのと、今の僕らがあるのは当時の人たちのおかげ、あなたたちの死は決して無駄にはしませんっていうとこから出ない。
被害者意識が強いのかな。
アメリカを恨んだりもしないし、憎しみの連鎖も禍根もない。
非常に稀有な形だと思います。
いや、もちろんその教えは素晴らしいと思うし、誇りにも思いますよ。
でもね、加害者であったことってあんま語られないですよね。
だから、『終戦のエンペラー』みたいなのは日本では作れない。
やっぱ海外からしたら日本って加害者なんですよ。
真珠湾攻撃したんは事実やし、侵略したんも事実。
それなのに、内容は非常に日本寄りというか。
着想はいいと思うけどなんやろう、日本のことも判ってよ!ってのが強く出過ぎたんかな。
近衛前首相が「アメリカさん、戦争責任戦争責任言うちょりますが、アンタらのやっとることは何よ?ワシら、アンタらのマネしただけよ」って言うんですよ。
「ええぞ近衛!やっちゃれやっちゃれ!」って思いましたけど、海外の人が見たら、おまえが言うなって思うでしょうね。
なんというか、この映画そのものが異形の子って感じがしました。

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『少年H』(2013)

劇場にて。

戦争に飲み込まれていく社会を、家族目線で描いた作品。
戦争というよりは国レベルの熱狂によって自分を取り巻く世界が変わっていき、自分が正しいと思うことを維持していくことが難しくなる、それを齢の割には冷静な少年の目線で追っていった作品。
そういう意味では今の日本にも共通するところがあって、全然成長しとらんやないか!って憤慨できることうけあいです。
ただ事象との距離感が遠からず近からずで、表現もわりかしソフトというか、大人の演出というか。家族の誰も出兵しませんし、戦死もしません。
そのおかげで、浪花節にも転ばず、社会との折り合いに苦闘するところに焦点を絞れたとも思うんですけど、飲み込まれていく様はもっと暴力的でもよかったんじゃないかなーとは思いました。
ロケが多いんですけど、当時の神戸の再現はかなり頑張ってたと思います。
終戦のエンペラー』にも負けてなかったんじゃないでしょうか。
主人公のお父さんは水谷豊さんが演じてて、仕立て屋のご主人なんですけど、堂に入ってましたね。手つきとか見事でしたね。さすがです。嬉しくなりました。
小道具のミシンも良かったです。
最後のフェニックスがいらんぐらい、効いてました。
妹のよしこちゃんも最高でした。


ところで、そろそろ加害者視点の作品が出てきてもいいんじゃないですかね。
『少年H』やと、原田泰造さんが一手に引き受けてましたけど、ああいう人を主人公にした映画というか。
ああいう人ってだいたい悪役になっちゃいますけど、あの人なりの正義もあったと思うんですよ。でも、それを今の時代で描くとどうしても断罪されちゃうんですよね。
戦争に行く人は、だいたい悲劇の主人公になっちゃう。
殺しに行ってるのにね。
たぶん、作られても「それって怖いよね」「怖いからそうならないように気をつけようね」ってとこに落とさないとダメかもしれませんけど、彼らも人間であったはずなんですよね。
ダメかなあ。
まあ、そんな作品観たいって人、そんなおらんかもな。

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ゼルダの伝説 スカイウォードソード』(2011)

十字キーをアナログに。
ダメージや衝撃を体感させるために振動パッドを。
GAMEの新しい可能性を、グラフィックの向上ではなく、コントローラーに追求してきた任天堂
好きですよ、その思想。
3Dポリゴンも、ただ見た目の新しさだけじゃなくて、GAMEにとっての必然を追求してましたよね。
その任天堂が世に送る、PCにおけるマウスのような、直感的なデバイスを家庭用GAME器に、という目論見で作られたであろうWiiリモコン。


でもね、僕アカンかったんです。
精度において劣るという一点で食わず嫌いでした。
スマホやりたての文字入力のようなフワフワ感。
カチッと押したいんだよ、カチッと!オレは!
そんなイライラが払拭できませんでした。
あと腕が疲れる・・・
すごく疲れる・・・


でも『スカイウォードソード』をやって、ようやくその真意を汲み取ることができましたよ。
動作のことごとくをWiiリモコンに割り当ててたんで、多少のゴリ押し感は否めなかったですけど、剣と盾に戦略性を持たせたシステムは、新しい可能性をビンビン感じました。
フィールドや演出の使いまわし感、らしからぬキャラクターデザイン、生命力をまるで感じさせないロボットのようなスカイロフトの住民とか、往年のゼルダからは数段劣る面もあるけど、クライマックスからの怒涛の展開と、栄光の礎として犠牲になった者にスポットをあてたエンディングは感動必至。
ゼルダに限らず任天堂は、よくよく考えるとゾッとすることを巧妙に配置してきますよね。
クライマックスで大団円、ワッショイワッショイ!となりきれない、英霊の存在の絶妙感たるや・・・
それは、労した時間が「かけがえのないもの」として受け取ることができるキーアイテムなのかもしれない。
少なくとも自分にとってのトライフォースは、サリアであり、メドリであり、インパなのだ。

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ピクミン3』(2013)

これに先立って、おさらい目的で一作目二作目もやり直したけど、正当進化というより、ヴァージョン違いという印象でしたね。
よって、一作目の偉大さを改めて痛感。
とはいえ、「やられた」や「倒れた」ではなく「死ぬ」という言葉をハッキリ使う、営みを感じさせる世界観や、リアルタイムシミュレーションとしても相変わらず極上で幸せな時間が過ごせました。ごちそうさまでした。
キャラがよく喋るようになったのは意外だった。
かつては感情移入を、テキストや控えめな演出に抑えていたし、ボイスも「○□△※×」といった擬音のようなものに留めてたんですけど。
これは『スカイウォードソード』でも感じた喪失感。
時代の流れなのかしら。
あと、WiiUGAMEパッドの存在理由は、「わかるっちゃあ、わかる」といったところかなー。
確かに、ウィンドウを切り替えてプレイを寸断させることはなくなったけど、『スカイウォードソード』のような必然感にまでは至ってないと思う。
WiiUGAMEパッドは、正直、期待感よりも開発者にとっての足枷感を懸念してしまいますよ。
大きなお世話と言われればそれまでだけど。

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『レゴシティ アンダーカバー』(2013)

プレイしたことはないけど、『グランド・セフト・オート』のLEGO版なんでしょうかね?。オープンワールドの広大すぎる箱庭で、自由に世界に干渉しながら、自由に課題をこなしていくゲーム。
これが、現代GAMEの世界基準ってとこですかね。
体感させてくれたことに感謝です。
任天堂風の味付けで、食べやすくさせてくれたことも大きかった。
でも、やってみて思ったけど、後半ダレますね。
こなす量は膨大だけど、やっていることは型にはまっていくので、作業化の傾向は否定できないという。
全部たいらげましたけども。

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バットマン アーカムシティ アーマード・エディション』(2013)

これも、『レゴシティ』同様、広大なオープンワールドでメインミッションをこなしつつ、自由にサブミッションをこなしていくという内容。
まあでもね、その技術力には舌を巻きましたよ。
舞台になるアーカムシティって、めっちゃ広いんですけど、読み込み一回なんですよね。そんで、その中をバットマンとして颯爽と滑空しまくれるという。
悪党に音もなく舞い降りたりとか。
バットマン気分がこれでもか!って味わえます。
格闘アクションも、簡単な操作でビッシバッシ決めてくれますしね。
原作の世界観を損なうことなく、『BATMAN』をGAMEとしていかんなく昇華させたその技術力に舌を巻きました。
グラフィック、オールスターキャスト、声優、シナリオ。
どれも見事と言う他ないと思います。
自分はGAMEを作ったことはないけど、これ作れ言われたら、少なくとも5年はくれって言うでしょうね。それほどの完成度。
このレベルを矢継ぎ早に出されたら、中小はたまったものじゃない。
舌を巻くと同時に、大手しか残っていけなくなるであろう未来に、一抹の閉塞感が伴いました。