『ゴースト/ニューヨークの幻』

soichi_ueno2006-09-01

いやあ、この映画ね、結構好きなんですよ。
公開当時、僕は映研部員で、この映画好きなんよ、って公言して冷ややかな目を向けられた記憶がありますね。
デミの「さんばでぃー!」とか、お金を渡そうとして手放さないウーピーとか、覚えてますね。
コインがスゥ〜ってとこ、たまらんですわ。

やっぱねえ、突然訪れる死っちゅうもんは、耐え難いもんですよ。
特に残された側はね。

たとえばね、
大切な人がおって、その人が病気や何かで衰弱してって、苦しんでいく姿を目の当たりにしつつ最期を看取れたんなら、残された者は、故人の苦痛からの解放にいくらかの安らぎを見出せるでしょうね。

でもね、
ある日突然ですよ、なんの前触れもなく大切な人にサヨナラされたらね、これはもう、どうしてええんか分からなくなるんじゃないかと思うんですよ。
たとえその亡骸と直面したとしてもですよ。
絶対、そのうちまたいつもの笑顔でふらっと現れるはずや、っちゅう錯覚地獄とか、「あの時もっと・・・」みたいなタラレバ地獄が待ち構えてるはずなんですよね。
サヨナラの原因が第三者によるもんだったら、もっと最悪ですよね。
憎しみが生まれますからね。
恋愛でもそうですわ。
前触れなく宣告されたらね、パニクりますよ。
強制フェード・アウトはもっとツライ!
じーざーーーーーーす!!

話逸れましたけれども。


そんな時ね、ほんの一瞬。 錯覚でもいい。
今一度、健やかに旅立ってゆく故人の姿を、残された者を勇気付けてくれる故人の一言を、この目で、この耳で確かめることができるんなら、どれだけ癒されることだろう、と。
「私は幸せだった」
「君に会えてよかった」
「ぜんぜん、おっけー!」
これよ、これ。
これがあるのとないのとじゃ、全然違うでしょう。

カミさんがスピリチュアル・カウンセラーの江原さんを好きでしてね。
僕はあんまりこういうの信用してないんで、眉唾ながらに見てましたけど、彼のしてることは、霊がどうとかいうんじゃなくて、残されたものに安らぎを与えることに忠実なんですね。

残されたもの、とはちょっと違いますけど、前に飼ってたハムスターが突然具合悪くなりまして。
病院連れてったんですけど、ハムスターって小さいですからね、切った貼ったができないんですよね。
それでも獣医さんは診察カード作って、注射打ってくれました。
回復は難しいという前提でね。
結局、すでに不可避の状態だったのか、注射のショックだったのか、その日の内に他界しました。
カミさんは注射がアカンかった、って後悔してましたけど、でも、何もせんで看取ってても後悔してたと思うんですよ。
あの獣医さんは、飼い主の、何もできんけど何かせずにはおれない、っちゅう苛立ちを受け止めてくれたんでしょう。
そら、診察するほうもね、どっちか言うたら診たくないと思うんですよ。
負け戦ですからね。
それでも診てくれたんは、やるせない飼い主の気持ちを受け止めてくれたんかなあ、っていう気はしますね。
まあ、こういう時こそね、江原さんに「病院連れてってくれて嬉しかったでチュウ」って言うてもらったらね、カミさんも楽だったでしょうけど。

この広い宇宙で人ひとり死のうが、ハムスター一匹死のうが、どうってことはないですけど、残された心っちゅうのは、きゅう〜っと悲鳴を上げるものなんですよね。
残された者のあとかたづけはしんどいんです。
相手おらんのですから。
何もさせてくれんわけですよ。
頑張ることも、あがくことも、すがることも、守ることも、話し合うことも、何もさせてくれんわけです。
悔恨と懺悔の十字架が自問自答でもってどんどん肥大化していくだけなんですよね。
だから日本の法律もね、もうちっと残された者重視の視点で作り直してほしいと思います。